映画などのブログ

映画評ではなくて感想みたいなものを

『グリーン・ナイト』(The Green Knight)と不自然主人公(その2)

 前に、「不条理小説みたい」と書きましたが、この後のストーリーはロードムービーみたいな展開で進みます。

 途中で様々な者に出会う探求の旅ーという感じでしょうか。

 主人公ガウェイン自体が「語るべきものをまだ持ってない」騎士見習いに過ぎないのだから、本人に相応しい旅なのかもしれません。だが、旅の最後に待っているもののことを思えば、矛盾を孕んだ旅とも言えます。

 

 盗賊や言葉を話すキツネや裸の巨人たち(様々な怪異?)などと出会った末に、ようやく目的地にほど近い城館にたどり着きます。

 城では城主から歓待され、彼とある約束をします。

 

 城主は外に狩りに出かけ、一方、城内でガウェインは城主の妻から誘惑されます。

 ガウェインは、彼女から緑の腰帯(green girdle)を受け取り、誘惑に応じようとしますが、途中で逃げて、森の中で城主に出会います(そこでは城主との約束は果たさず)。

 

 ここまでのガウェイン、ヒーローものの主人公としては”失格”の烙印を押されても仕方ないような行動ばかりです。

 

 追剥ぎ(盗賊)たちに襲われると、多勢に無勢であっさり降参して縛り上げられます。聖ウィニフレッドからのある依頼に対しては見返りを要求する(だが拒否される)。そして、あの城主との約束は破るのです。

 まったく意志堅固ではない、ヒーローらしからぬヒーローです。礼節を弁えた騎士ーらしい振舞いはほとんどやっていません。女性に対する態度・責任などは優れた騎士のあるべき姿ーではないでしょう。

 他人への依存心が強いキャラクターではないが、かといって独立独歩で意志強く自分の運命を切り開くような人物には描かれていません。

 

そこがこの主人公の不思議な、不自然な所です。

 普通は、辛い目に遭うと大抵の人は神や仏にすがりたい(イングランドで仏はない?)はず、しかも中世社会の人物だと迷妄だろうと何だろうと、神に縋りつきたいはずです。

 ところが主人公のガウェインは数々の不運な目に遭い(奇妙なゲームで自分の運命を決められる。追剥ぎに襲われるなど)ながら、神を頼りにしようとすることがない。非常に不思議な人物です。

 たとえキリスト教の神を信じてないとしても、何らかの神頼みをやっても不思議ではない状況なのに。

 ところが、この主人公は神頼みはせず、ただ運命に身を任せたのか、緑の礼拝堂に向かって行くのです。

 

 意図的に、非宗教的ストーリー、あるいは脱キリスト教的「アーサー王物語」を作ったのかと思いました。

 

 映画話で原作(それに類するもの)に言及するのが適切かどうかわかりませんが、少々原作について触れますと、原作にあたる14世紀の『ガウェイン卿と緑の騎士』と、本作品には相当な違いがあります。

 

 原作は、広い意味でキリスト教的な物語(詩)でしょうが、この作品は、宗教色を排し(異教色を増やし?)、映像美をみせる映画となっています。

 原作は、キリスト教信仰や忠義に篤いガウェイン卿の英雄譚になっています。

”緑の騎士”の正体は明かされ、城主との約束の大切さも理解できます。

 一方、本作品は英雄を讃える内容になっていません。

 

 英雄ならざるガウェインが旅の末に出会ったものは・・・という展開になってます。

 

 信仰心も信念も?持たない非超人的人物ーガウェインだから、この映画の主人公に成り得たのかもしれません。