映画などのブログ

映画評ではなくて感想みたいなものを

『ザ・メニュー』(The Menu)とホラーコメディ(その2)

 

 前回は「12人のゲスト」と書きました。なぜか、その中にスローヴィクのアル中の母親がいました。

 

 実は、本当の”ゲスト”は、窓から外の海の方にいたのです。ダグ・ヴェリックは富裕な個人投資家で、新型コロナ(COVIDー19)で立ち行かなくなった店の所有権をスローヴィクから得ることになっていました。しかし、彼は海中に・・・。

 

 12人のゲスト(カネは取る予定だけども)を心からのおもてなしーなどではなくて、断罪するのがスローヴィクの予定でした。

 

 ただ、(タイラーの連れの)マーゴットは完全に予定外のゲストでした。スローヴィクは、彼女に店のスタッフとともに死ぬか、ゲストとともに死ぬのかを選ぶように求めます。マーゴが返答できずにいると、スローヴィクはスタッフ側にすることを選びました。

 奪う側に立つか、奪われるほうに立つか(ただし、この店での立場はかなり時間限定的で、どちら側も結局いなくなるのですが)、そんな問いがありました。

 この辺りは、新型コロナがストーリーに影を落としてるような気がします。

 

 コロナが今と違って猖獗をきわめていた頃に、「Clap for Carers」という行為が流行っていたことがありました。いわゆる「エッセンシャル・ワーカー」に感謝を表すために拍手をおくる活動のことです。特に医療従事者への感謝という面が強かったように思います。

 だが、「エッセンシャル・ワーカー」の方々は、そんな拍手をおくられて喜んでいたのでしょうか・・・? おくる方にとっては、「拍手するのはタダ」(カネは出さなくてよい)だから、やってたような気もします。

 もちろん、「カネ出してるのだから相応のサービスを受けるのは当たり前」とか「給料もらってるなら、ちゃんと仕事しろよ」という傲然とした態度の人々が多いよりもマシですが・・・。

 

 一方で、自分の快適な個室に居続けて十分に仕事を遂行できる人々もいます。他人から見て「どうでもいいような仕事」(エッセンシャルではないモノ)だけれども、この状況下で資産を殖やして、エッセンシャルな人々の何千倍か何万倍も富裕な人だっているのです(投資家とかか?)。「Clap for Carers」って素晴らしい行為ーなんて必ずしも言えないような・・・。

 

 「ケアを与える方か、ケアされる方か」、「疲弊する方か、疲弊させる方か」、「奪われる方か、奪う方か」ーこんな問いも可能なような気もします。

 

 スローヴィクが「自分は奪われる方か・・・」と考えた末に、「最後の最後で”奪う方”に回ってやる」と思ったのかもしれません。今まで、批判して攻撃してきた連中を今度は自分が攻撃してやるんだーみたいに。

 

 この場に居合わせることになったマーゴは、タイラーにエスコート(CGのこと)として出会ったという偶然のせいで、酷い目に遭います。サービスを与える側は、常に危険も伴うようです。